2019年01月21日

主イエスを愛してナルドの香油を注いだ女


この女は、自分にできることをしたのです。

         マルコの福音書148


イエスが食卓についておられると、
ひとりの女が、
純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、
そのつぼを割り、イエスの頭に注ぎました。
すると、人々は
「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。
 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、
 貧乏な人たちに施しができたのに。」と言って、
その女をきびしく責めたのです。
しかし、イエスはこう言われました。
「そのままにしておきなさい。
 なぜこの人を困らせるのですか。
 わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。
 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。
 それで、あなたがたがしたいときは、
 いつでも彼らに良いことをしてやれます。
 しかし、わたしは、
 いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。
 この女は、自分にできることをしたのです。
 埋葬の用意にと、わたしのからだに、
 前もって油を塗ってくれたのです。
 まことに、あなたがたに告げます。
 世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、
 この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

実は、この時は、
イエス・キリストは十字架にかかる直前でした。
誰も、そのことを知りませんでした。
もちろん、この女も、そんなことは知りませんでした。
でもイエスを心から愛していたこの女は、
損得ではなく、
イエスへの彼女のできる最高の愛を示したのです。
その時、それは
十字架という最も大切なこと(埋葬)のための準備となりました。
そして世界中で福音が語られるところでは、
語られるようになったのです。

損得という地上の計算ではなく、
イエスを愛する愛に生きる時、
永遠の働きに携わることができるのです。

posted by 主のしもべたち at 16:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1時間、祈る


「シモン。眠っているのか。
    一時間でも目をさましていることができなかったのか。」
    
マルコの福音書1437



イエスは十字架にかけられる前の日、
ゲツセマネという所に来て、
祈られました。

その時に弟子たちに
「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい。」と言われ、
ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれました。

イエスは深く恐れもだえ始め、彼らに言われたのです。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。
 ここを離れないで、目をさましていなさい。」
それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、
もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
またこう言われました。
「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。
 どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。
 しかし、わたしの願うことではなく、
 あなたのみこころのままを、なさってください。」
それから、イエスが戻って来ると、弟子たちが眠っていたのです。

ペテロに
「シモン。眠っているのか。
 一時間でも目をさましていることができなかったのか。
 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。
 心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

イエス・キリストが十字架の上で、
あなたとわたしへの愛を全うすることができたのは、
この時、祈られたからです。

弟子たちが、
その時逃げ出したのは、
このとき眠っていたからです。

1時間祈る」
イエスが言われたことの言葉は、とても大切です。

1時間祈ることを、
イエスの恵みの中で身につけましょう。
教会と聖霊の助けを借りて・・・
posted by 主のしもべたち at 16:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

十字架を引き受けたイエス・キリスト


立ちなさい。さあ、行くのです。

見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。

        マルコの福音書1442


イエスが、ゲッセマネで祈られたとき、弟子たちは眠っていました。
イエスが三度目に祈り終えて弟子たちのところに来られたとき、
彼らに「まだ眠って休んでいるのですか。
もう十分です。時が来ました。
見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。
立ちなさい。さあ、行くのです。
見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」と言われました。

イエスは、このあと十字架にまっすぐ向かって行かれました。
騒ぐことも取り乱すこともなく、
十字架を引き受け、全うされたのです。
このゲッセマネで、祈り切られたからでした。

一方、弟子たちは、
イエスが捕らえられ十字架にかけられる時、
みんな逃げてしまいました。
それは、この時、彼らが祈れなかったからです。

イエスが恐れもだえて祈られている時、
弟子たちは眠っていたのです。

ただ、この弟子たちが、
ペンテコステの時には祈っていました。
そして聖霊が激しく臨み、彼らは変えられます。

私たちも聖霊により頼み、
目を覚まして祈りましょう。
そのとき、聖霊が私たちに臨み、
私たちも、
主イエスのように、十字架を引き受けて進んでいけるのです。
posted by 主のしもべたち at 16:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする