2019年12月09日

神が語られたことばは必ず成就する


2019年12月7日土曜日



私のことばは、その時が来れば実現します。


           ルカの福音書120



ザカリヤは、み使いガブリエルが語った喜びの訪れ、
つまり「子どもが与えられ、男の子が生まれる。名をヨハネとつけなさい。」
と言われたことばを信じられませんでした。

その結果、おしになって、ものが言えなくなってしまいました。
けれども、みつかいを通して語られた神のことばは、
その通りになり男の子が与えられたのです。

まさに神のことばは、その時が来れば実現するのです。
どんなに私たちが不信仰になったとしても、
神様が約束されたことばは、約束通りに果たしてくださいます。

神の時が来る時、神のことばは、その通りに成就するのです。

あなたに約束されている神のことばは、必ず成就します。
あなたに語られた神のことばを、神は決してお忘れにはなっていません。

その時が来れば、その通りに成就するのです。
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イエスはあなたにとって誰ですか

2019年12月8日日曜日



するとイエスは、彼らに尋ねられた。

 「では、あなたがたは、

  わたしをだれだと言いますか。」

ペテロが答えてイエスに言った。

 「あなたは、キリストです。」


        マルコの福音書829



イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられました。
その途中、イエスは弟子たちに
「人々はわたしをだれだと言っていますか。」と尋ねられました。
彼らが
「バプテスマのヨハネだと言っています。
 エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」
と答えると、イエスは、彼らに
「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
と尋ねられました。ペテロが答えて
「あなたは、キリストです。」
とイエスに言うと、イエスは、自分のことをだれにも言わないようにと、
彼らを戒められたのです。

あなたはイエスのことを誰だと言いますか。
あなたもペテロのように
「キリストです。」と答えられますか。

人々が何と言っているかは問題ではありません。
あなたにとってイエスはキリストでしょうか。
キリストとはメシア、つまり救い主ということです。

あなたがどんな困難や問題にぶつかろうと、
不治の病気や大きな悲しみの中に落ち込もうと、
イエス・キリストがいるなら大丈夫と言えますか。

そして最も大きな問題である「死」に対する解決がここにあります。
イエス・キリストの十字架は死に永遠の勝利を与えてくれます。

あなたにとって、イエスは、キリストですか。
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弟子の道は十字架の道



だれでもわたしについて来たいと思うなら、

自分を捨て、自分の十字架を負い、

そしてわたしについて来なさい。


      マルコの福音書834



イエスをキリストと答えたペテロと弟子たちに、イエスは言われました。
人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、
三日の後によみがえらなければならないことを教え始められました。
しかも、はっきりとこの事がらを話されたのです。

するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めると、
イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われました。

「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」

それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、
 そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、
 わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。
 自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。
 このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、
 人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、
 そのような人のことを恥じます。」

と言われました。

救い主である王の王であるイエスが十字架にかかるということは
ペテロにも弟子たちにもとても理解できなかったのでしょう。

でもイエスはこの地上の国ではなく、永遠の御国、天国のことを語っておられたのです。

イエス・キリストの弟子となることは、
自分の十字架を負ってキリストについていくことです。
自分を捨てないとできません。
自分を捨てるとは、自分の計画、考え、やり方等を捨てて、
キリストの言われることに従うのです。

でも、それは最後まで十字架を負って従っていくと、
素晴らしい祝福と恵みがあふれていることに気づきます。
神の愛と恵みの深さ、高さ、大きさを知り、
神の計画の中で神の愛と奇跡をたくさん見ることのできる道なのです。

弟子の道は、クリスチャンにとって最高の道、最善の道です。
posted by 主のしもべたち at 17:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月06日

あなたの願いは聞かれます



あなたの願いが聞かれたのです。


       ルカの福音書113



イエス・キリストが誕生する半年前に、バプテスマのヨハネが生まれます。
彼はイエス・キリストの道備へをする特別な使命がありました。
イエスが「女から生まれた者の中で最も優れた者」と言われた方です。

バプテスマのヨハネの両親は、ザカリヤとエリサベツと言いました。
ヨハネが生まれるまで、ザカリヤとエリサベツは、とてもとても長い間待たされました。
エリサベツが不妊の女だったからです。
彼らは祭司の夫婦で、ふたりとも、神の御前に正しく、
主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっている人でした。
しかし彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていました。
彼らは子どもが与えられることを願っていましたが、
もうそれは無理な歳になっていたのです。

なぜ、こんなに忠実に誠実に神に仕えていたのに、
神様は、彼らに子どもを与えてくださらなかったのでしょう。
こんなに歳をとるまで待たされたのでしょう。

それは、バプテスマのヨハネの両親になり、
バプテスマのヨハネを育てる使命があったからです。

彼らは長い長い間待たされました。
忍耐の訓練を通りました。

ザカリヤが、主の神殿にはいって香をたくことになった時、
主の使いが彼に現われて、香壇の右に立ち、恐れている彼に

「こわがることはない。ザカリヤ。
 あなたの願いが聞かれたのです。
 あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。
 名をヨハネとつけなさい。
 その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。」

と語られ、ついに願いが聞かれ、子どもの与えられる時が来た時でさえ、
彼はそれを素直に受け取れなかったのです。
とても無理だと思いました。
それぐらい長い間、もう不可能と思えるまで待たされたのです。

でも、神の言葉は真実で、神は愛の方です。
ザカリヤとエリサベツの忠実を覚えておられ、見ておられました。
ザカリヤとエリサベツには子どもが、
しかもイエス・キリストの道備へをするバプテスマのヨハネが与えられたのです。

あなたにもきっと神様からの使命があります。
だから、時として、いつまで待たなければいけないのだろうか、
と思いたくなるような忍耐を求められる時があるかもしれません。
もう無理だと諦めてしまいたくなるようなところまで追い込まれるかもしれません。

でも忘れないでください。
神はあなたを愛しておられます。
そしてあなたの忠実を見てくださつています。
必ず報いて答えてくださる方なのです。

あなたには遅いと思える神の時が来るときに、
あなたの願いは聞かれるのです。
神か語られればそうなるのです。

あなたの願いは聞かれました。
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2019年12月05日

一言も答えずに十字架に進むイエス



イエスは、

どんな訴えに対しても一言もお答えにならなかった。

それには総督も非常に驚いた。


     マタイの福音書2714


イエスは捕らえられ総督の前に立たれた時、
総督はイエスに
「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋ねました。
イエスは彼に「そのとおりです。」と答えられました。

しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなかったのです。
そのとき、ピラトはイエスに言いました。
「あんなにいろいろとあなたに不利な証言をしているのに、聞こえないのですか。」
それでも、イエスは、どんな訴えに対しても一言もお答えにならなかったのです。
それには総督も非常に驚きました。

イエス・キリストは
十字架にかかることが
父なる神である主の御心であることを知っておられました。

そして、そのためにゲッセマネで血のような汗を流して祈られました。
それでこの時は、どんな訴えに対しても、もう何も言われなかったのです。

私たちを愛して、十字架にかかることに心が定まっていたからです。

私たちも主の恵みの中で
自分の十字架を心を定めて受け取り祈るなら、
周りがどんなに騒ごうと嘲ろうと、
主の特別な恵みの中で、静かにまっすぐに、
主の十字架の道を歩めるようになるのです。
posted by 主のしもべたち at 18:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月04日

この方イエス・キリストが救い主

2019年12月4日水曜日

この方イエス・キリストが救い主



「この方はまことに神の子であった」


                            マタイの福音書2754



イエスが十字架の上で
最後にもう一度大声で叫んで、息を引き取られたとき、
神殿の幕が上から下まで真二つに裂けました。
そして、地が揺れ動き、岩が裂け、墓が開いて、
眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返ったのです。

そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都にはいって多くの人に現われました。

百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、
地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、
「この方はまことに神の子であった。」と言いました。

キリストを十字架につけた異邦人のローマ兵でさえ、
イエス・キリストの十字架を目の当たりにした時
「この方はまことの神の子であった」
とわかったのです。

イエス・キリストの十字架の死は、神を恐れずにはいれないほど恐ろしく、
しかし同時に、それほどに深く神の愛が現れていたのでしょう。
posted by 主のしもべたち at 13:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月02日

福音によって救われる


2019年12月2日月曜日



この福音によって救われるのです。


    コリント人への手紙 第一 152



パウロはコリントの教会の人々に向かって手紙を書いて言いました。
「また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、
 私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、
 この福音によって救われるのです。」と。

そしてその福音とは、パウロ自身が受けたことです。

「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。」

イエス・キリストが聖書に書かれて預言されていたメシア、救い主であり、
聖書に書かれていた通りに、私の罪の身代わりに、十字架にかかり、
三日目によみがえり復活されたこと、
この福音を信じ、悔い改めて告白するとき、救われるのです。

あなたが信じているのなら、あなたは救われています。
posted by 主のしもべたち at 17:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする